看護師としてのキャリアと訪問看護への転身高校受験のころ、手に職をつけたいと考えたことが、看護師を目指すきっかけでした。小学生のころに骨折をしたり、スポーツで怪我をしたりする中で、医療の仕事に興味を持つように。当時は理学療法士なども選択肢にありましたが、安定性や将来性を考えた結果、最終的に看護師の道を選びました。専門学校を卒業後、東京都の大学病院に就職し、小児病棟に配属されました。NICU(新生児集中治療室)にも関わりながら、小児医療に約10年間従事し、その間、救急部門(ER)の立ち上げにも携わって、さまざまな経験を積みました。その後、埼玉の急性期病院へ転職し、脳神経外科、循環器内科、消化器外科、整形外科など、幅広い診療科を担当しました。病院勤務の中では、副主任としてのマネジメント業務も担い、スタッフ育成や組織運営にも関わっていました。訪問看護に転職したのは、病院時代の後輩たちが多く在籍していた訪問看護ステーションから声をかけられたことがきっかけです。ちょうどキャリアを見直していた時期でもあり、小児の在宅医療に力を入れたいという会社の方針にも共感し、訪問看護の世界へ飛び込みました。訪問看護は「利用者さん一人ひとりにじっくり関われる」というイメージを持っていましたが、実際には時間の制約がある中で効率的にケアを提供しなければならない難しさがありました。一方で、病院では経験できなかった「利用者さんとご家族がともに過ごす最期の時間」に寄り添えることや、深い信頼関係を築けることに大きなやりがいを感じました。ゼロからの立ち上げ——訪問看護の普及に挑む日々現在、香川県三豊市と徳島県徳島市の店舗で管理者を兼任しながら、エリアマネージャーとして統括しています。特に、新規立ち上げに関わることが多く、徳島の店舗も2025年12月にゼロからのスタートでした。徳島の前に、香川県三豊市の店舗を立ち上げた際、訪問看護の文化が根付いていないことを痛感しました。東京では訪問診療が充実しており、訪問看護の認知度も高いですが、三豊市には訪問診療を提供するクリニックが一つもなく、地域のケアマネージャーの皆さんも「訪問看護で何ができるのか分からない」という状況でした。そこで、まずは訪問看護の存在を知ってもらうため、地域の医療・介護関係者に丁寧に説明を行い、少しずつ信頼関係を築いていきました。その結果、3〜4か月が経ったころには安定し、現在では売上や対応件数も右肩上がりに推移しています。地域で訪問看護を利用する人の割合も増え、少しずつ文化として根付いてきている実感があります。離島・地方医療を支える使命感三豊市のエリアには離島も含まれており、訪問看護を必要としている方が多くいらっしゃいます。しかし、訪問看護を提供できるステーションが少なく、十分なケアを受けられない現状がありました。そこで、少しでも支援ができるよう、積極的に離島への訪問を始めました。離島訪問の最大の課題は移動手段です。フェリーの本数が限られており、天候によっては欠航になることもあります。緊急時にすぐに駆けつけることが難しいため、定期訪問の際にしっかりとケアを行い、利用者さんやご家族が適切に対応できるよう指導することが重要になります。また、離島に住み続けたいと願う方は多いものの、医療体制の問題でやむを得ず本土の病院で過ごす選択をされるケースも少なくありません。私たちが訪問看護を提供することで、「この島で暮らし続けられる」と思ってもらえることに、大きなやりがいを感じています。管理者・エリアマネージャーとしての挑戦管理者としての経験は長くありましたが、エリアマネージャーを兼務するようになり、新たな難しさを感じることが増えました。特に大変なのは、「すべての店舗を均等に見ることが難しい」という点です。どうしても、課題の多い店舗や、新規立ち上げの店舗に時間を割かざるを得ません。一方で、すでに安定している店舗にも適切なサポートを提供する必要があり、そのバランスを取ることが大きな課題になっています。前職では、エリアマネージャーという役職の人を管理者の立場から見ていました。当時は「もっと頻繁に現場を見に来てほしい」と思っていましたが、今は逆の立場になり、その難しさを身をもって実感しています。特に物理的な距離の問題は大きく、すべてのエリアに同じ頻度で訪問することができないというジレンマがあります。また、もともと私は「現場に出て直接解決する」ことを得意としていましたが、エリアマネージャーとしての業務では、すべての問題に対面で対応するわけにはいきません。各店舗の管理者やスタッフとオンラインミーティングを活用しながら、現場に行かずにどう課題を解決していくかを常に考えています。一方で、エリアマネージャーとしての役割の中で、新たなやりがいを感じる部分もあります。特に、「管理者の育成」に携わるようになったことは、自分にとって大きな成長の機会になっています。以前は、現場スタッフの育成には自信がありましたが、管理者を育てるという経験はそれほど多くありませんでした。しかし、今は三豊の店舗をリーダーや所長に任せ、徐々に運営を安定させることができています。自分が関わらなくても組織が回るようになり、「この人たちなら任せられる」と感じる瞬間は、大きな達成感があります。一方で、徳島の店舗はまだ立ち上げから間もないため、現在も管理者としての業務が中心です。エリアマネージャーとしての役割と、管理者としての役割を並行して行うことの難しさはありますが、どちらも大切な業務なので、バランスを取りながら取り組んでいます。働く中で感じる会社の魅力この会社に入って一番に感じるのは、「人を大切にする文化」が根付いているということです。訪問看護の業界では、売上や訪問件数の数値ばかりを重視する事業所も少なくありません。しかし、ここでは利用者さんだけでなく、スタッフ一人ひとりを大切にする姿勢が徹底されています。その象徴的な取り組みの一つが、オンラインスピーチです。オンラインでの朝礼で、スタッフの中から抜粋されたメンバーが1分間スピーチをする機会があります。そこでよく聞くのが、「この会社に入ってよかった」「こんな素晴らしい経験ができた」という声です。こうしたポジティブな意見が自発的に出てくるのは、会社の文化がしっかりと根付いている証拠だと感じます。また、もう一つの大きな魅力は、経営の透明性の高さです。通常、会社の財務状況や経営方針は、役員レベルの会議でのみ共有されることが多いですが、ここでは管理者にも経営の数字がしっかりと伝えられます。それだけでなく、代表自らがX(旧Twitter)で発信するなど、外部に対しても情報を開示している点には驚きました。特に印象的なのは、「良いことだけを発信するのではなく、課題や問題点についてもオープンにしている」ことです。経営がうまくいっている部分だけでなく、改善が必要な点も率直に伝えられ、具体的な対策まで共有される。こうした姿勢があるからこそ、スタッフも会社に対して信頼を持ち、安心して働くことができるのだと思います。さらに、定期的な面談にも力を入れており、管理者だけでなく一般のスタッフとも1対1でしっかり話す機会が設けられています。訪問看護の業界では、「1時間面談するより、訪問1件増やした方がいいのでは」と考える事業所も多いですが、ここでは「人に向き合う時間をしっかり確保する」ことを大切にしています。この考え方は、現場で働くスタッフにとっても大きな安心材料になっていると思います。これからの目標——地域に訪問看護の未来をつくる今後の目標として、まず取り組みたいのは、各エリアでの「機能強化型」訪問看護ステーションの取得です。訪問看護ステーションにはさまざまな形態がありますが、機能強化型の認定を受けることで、より多くの訪問回数を提供できるようになります。しかし、この認定を受けるには、一定数の訪問診療の連携が必要となるため、地域の医療機関との関係強化が不可欠です。三豊の店舗では、すでに地域で訪問看護の認知が広がり、多くの方に利用していただいていているため、現在は行政との連携にも力を入れています。今後は、さらに地域の課題解決に向けた取り組みを強化し、訪問看護が当たり前の選択肢として認知されるような環境を作っていきたいと考えています。一方で、徳島エリアの拡大も重要な課題です。徳島市内には複数の訪問看護ステーションがありますが、市内から少し離れた地域になると、サービスを提供できる事業所がほとんどありません。そうした医療過疎地域に訪問看護の選択肢を増やし、住み慣れた地域で暮らし続けられる環境を整えることが目標です。個人的なキャリアとしては、「さらに上の役職を目指す」というよりも、訪問看護の立ち上げや地域医療の課題解決に取り組み続けたいと考えています。これまで0→1のフェーズに関わることが多かったですが、今後もこの経験を活かし、一つでも多くの訪問看護ステーションが地域に根付くようサポートしていきたいです。また、自社だけでなく、他社の訪問看護事業所とも連携しながら、業界全体として「訪問看護が当たり前の選択肢になる」ことを目指したいと考えています。まだまだ訪問看護の認知度が低い地域も多いため、エリアマネージャーとして、そして一人の看護師として、地域にできることを追求していきたいです。